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学校ICT 専門家・研究者のコラム

2021.10.08

バズワード:デジタル・シティズンシップ

2020年12月、筆者を含む5名の著者で
『デジタル・シティズンシップ』という書名の本を
大月書店から刊行しました。

以来、基礎自治体の教育委員会等から
筆者らに「デジタル・シティズンシップ」に関する
講演依頼等が100件以上寄せられています。

マスコミでも頻繁に取り上げられるようになりました。
私が所属する岐阜聖徳学園大学/短大は、
2021年7月に岐阜市教育委員会と
公式に「デジタル・シティズンシップ教育推進協定」を
締結しています。

この「デジタル・シティズンシップ(以降、DC)」という言葉は
2007年にISTE(国際教育テクノロジー学会)が
教育標準の一つとして提案したことをきっかけとして広まり、
欧米の教育界では、ここ数年で頻繁に使われるキーフレーズです。

OECDやユネスコ等の国際機関でも、
「デジタルの世界で善き市民になるにはどうすればよいかを
子どもや教師、保護者に教育すること」
が推奨されています。

しかし、意外なことに、
日本ではじめてDCを本格的に紹介したのは、
私たちが昨年12月に刊行した本のようです(筆者ら調べ)。

本の刊行から10カ月間で、
DCは日本の教育界で「バズった言葉」の
一つかもしれません。

しかし、バズワードは、
その言葉のもともとの意味や定義、内容が、
伝言ゲームさながらに、ちょっとずつズレてしまったり、
正反対の意味で使われたり、
誤解・曲解されたりすることも増えるのが常です。

DCもその例にもれず、
以下のような誤解をされる方が
少なからず、いらっしゃるようです。
【誤解1】
DCは、ネットの積極利用を呼びかける教育なので、
危険性などネガティブなことは一切取り扱わない。
日本の生徒指導や情報モラル教育には適さない。
【誤解2】
DCの考え方は、児童生徒の情報端末にフィルタリング等はかけずに、
子どもに一切の制限なく自由に使わせる教育だ。
【誤解3】
DCではICT利用方針などは一切作らず、
全て子どもに任せる(放任)教育だ。

まだまだありますが、
これらがDCに関する代表的な(極端な)誤解の例です。
私たち本の共著者はこの3つとも強く否定しますが、
これらすべてに反論するには、本メルマガでは字数が足りません。

日本の教育界におけるDCは、
欧米の学校から日本の学校に転校してきたばかりの
言葉もいまひとつ通じないドギマギした生徒のようなものです。

まだまだ日本のクラスメートとの対話も遊びも活動も足りず、
DCに対するクラスメートの情報不足、理解不足は否めません。
そのため、誤解されがちで、クラスメートと対立してしまう
こともあるかもしれません。

日本の学校におけるDCの成長は、
私たち日本の学校のクラスメートが、
DCについて対話をし、考え、多様な情報を収集し、
批判的に検討しながら、理解を深めなければ、
決してなしえないものでしょう。

そして、そうしたクラスメートの姿勢と行動こそが
「デジタル時代の社会の善き担い手としての市民」
すなわち、デジタル・シティズンシップなのです。

芳賀先生

岐阜聖徳学園大学教授。
元お茶の水女子大学附属中学校・教諭。
専門はインターネットの教育利用、教育における著作権、
個人情報取り扱い、デジタル・シティズンシップ教育、
プログラミング学習、データベースシステム開発等。

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